一族の伝統に育まれ、オー・ブリオンのテロワールに、極上辛口白ワインが現れました……

シャトーの名は、17世紀のマリー・ド・ラヴィルという女性にちなんでつけられました……

輝かしい歴史を持つ隣家のオー・ブリオンと同様、シャトー・ラヴィルの歴史もまた、様々な家族によって継承されたものでした。

17世紀に、ある女性が自らの名をドメーヌにつけます。彼女の名はマリー・ドゥ・ラヴィル。ケイラックの調査裁判官の夫を亡くした彼女は、1611年7月16日、シャトーを購入します。
10年後の1621年3月13日、ドメーヌは、マリーの兄弟で王室検事のベルトラン・ラヴィルの手に渡ります。その後は、息子のエストック領主アルノー卿、その娘で、王の侍従秘書のシックスト・ローラン・ドティエージュの妻であったマルグリット、そして、ボルドーの高等法院評定官であったルイ・エリ・デュフォール・ラジャルトの妻で、マルグリットの姪にあたるエレーヌ・デュドンへと、この小さなドメーヌの経営権は移り変わっていきました。

1世紀を過ぎた1717年9月7日、エレーヌ・デュフォール・ラジャルトが外科医ベルナール・ゴーサンにシャトーを売却し、ドメーヌはラヴィル家を離れます。

18世紀から第1帝政期の間、シャトーは様々な人の手に渡りますが、19世紀の初めになって、ようやく一つの家族に落ち着きます。1825年5月17日、ピエール・ダビッド・ブースカスが仲買人のルイ・ラフィットからシャトーを購入して以来、1912年まで、一族の経営が続きます。 

20世紀に現れた新たな女性、ムシィ公爵夫人とシャトーとの運命的な結びつき……

この年に、ワイン商、レオポード・ビボンヌが、ピエール・アントワーヌ・ブースカスからシャトーを購入します。1931年3月11日、彼は、ラ・ミッション・オー・ブリオンとラ・トゥール・オー・ブリオンのオーナーであった、フレデリック・オットー・ウォルトナーに売却します。以後50年間、ウォルトナー家は極上の白ワインを生産してゆきます。

L. ビボンヌと F.O. ウォルトナーが交わした同意書の表紙
1983年、偉大なるシャトー・オー・ブリオンの所有者、ドメーヌ・クラレンス・ディロンがシャトー・ラヴィル・オー・ブリオンを獲得し、クラレンス・ディロンの孫娘であるムシィ公爵夫人が社長となります。こうして、マリー・ラヴィルが培った伝統を彼女が受け継いだのです。

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